「ひなあられ」は「ひな祭り」に提供される「白・緑・赤」の3色あられの事で、それぞれ、「雪・芽・桃」を意味し「大地・緑・命」の意味も有り、食べる事によって加護を受けるのが目的です。

大きく分けて「関東」「関西」「名古屋」では、ひなあられの大きさや形が異なりますが、意味合い的には同じです。

ちなみに、「名古屋」のひなあられは、長細い形状をしている物も有り、丸い物も存在します。

ひな祭りが現在に至るまで

現在の「ひな祭り」は、新暦の3月3日に行われ、旧暦では4月に行われ、現在でも地域によっては、4月3日、8月1日に行われる場合がありますが、行事の意味合いはほぼ同じとされています。

諸説有りますが、ひな祭りが正式に始まった日は不明で、今の形は長い時代の流れと共に色々な風習が混じり、変化した物です。

「ひなあられ」は、「ひなみせ」と呼ばれる人形に山や景色を見せる行事に外出した時に食べさせた「あられ」が元とも言われていて、「外出のご褒美」「保存食」の意味も兼ねていたとも言われています。

一方、「ひな祭り」は、当時は、現在のような「儀式的要素」は無く、平安時代の一部の上流階級のみが行っていた御殿風の人形用建物に人形を飾る「遊び」の一つでした。

その後、紙の人形を川に流す事で、「穢れ(けがれ)」「厄災」等を払う「流し雛」と呼ばれる「儀式的要素」が合わさり、ひな人形を飾る事によって、生まれて来た女児の穢れや厄災を払い、健康や子孫繁栄を祈ると言う流れになったとされていると言われています。

もちろん、様々な説が有りますので、これが正解と言うのは有りませんが、意味や目的は大体どの説も同じです。

この時代には、まだ「ひなあられ」を与える習慣は存在しなかったと言われています。

時代は流れ、江戸時代に差し掛かる事になると、上流階級だけでは無く、庶民階級の女の子の間にも広く、現在のような「人形遊び」が広まり、女の子が生まれて来てくれた事を祝う「初節句」等に組み込まれて「雛遊び」が生まれたと言われています。

この時代では単なる「雛遊び」で、現在のような「ひな祭り」に昇華されておらず、「ひなあられ」も無かったとされています。

現在のように豪華な「ひな祭り」は、江戸時代以降、上流階級で行われ、大切な娘の「穢れ」や「厄災」等をひな人形に一生涯貰い受けさせる「儀式」事が目的で、「嫁入り道具」として必ず含まれていたと言われています。

当時は、ひなあられ自体高価な物でしたので、上流階級の限られた方しか満足に手に入れる事は出来なかったと言う意見も有ります。

一昔前の豪華絢爛とも言えるひな祭りは、「高度成長期」「バブル」辺りが最も豪華だったと言われています。

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